私の見ている世界

愛犬のいる暮らし、メダカのいる暮らし、時々私の心の声を漏らす場所。

断捨離と終活

他人様から譲り受けるものが高価であればあるほど、躊躇しますよね。

これからお話するのは、嘘のような、おとぎ話のような、本当にあったお話です。

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少し前の事です。私は70代後半のあるご婦人から、着物や帯、羽織、コート、小物など合計30点以上を頂きました。

 

以前から、親しくしていたそのご婦人から、

「私の終活に付き合って」

と言われ、私は私の娘と共にその方のご自宅へ招かれました。ご婦人は、駅2分の3LDKの分譲マンションで一人暮らしをしてします。ご主人は、数年前に他界され、お子さんはおらず、親兄弟もいらっしゃらない方です。ご縁あって、親しくしていましたが、こんなに裕福なご婦人だとは思っておらず、びっくりしました。

 

ご主人のご仏前に手を合わせたあと、奥の部屋に案内され、さらに驚きです。桐タンスの中から出てくる出てくる、名だたる紬の数々、西陣の帯…。それも殆どがしつけ糸のついたままの状態で。145センチと小柄なご婦人は、ご自身がよく着ていた着物はほぼ全て自分でリメイクされて、洋装へと変化を遂げられています。しかし、しつけ糸の付いているものは、私の身丈にぴったりなものばかり。まるで私用に誂えてくださったのかと勘違いするほど、身丈、身幅、裄もちょうど。娘が「お母さん用に仕立てたみたい!」と思わず声を上げました。

ご婦人は、

「あなたなら、この着物を箪笥の肥やしにせず、売り捌きもせず、大事に着てくれるように思うから。こういうのって、業者に買い取ってもらっても千円かそこらなのよ。なんだか悔しい値段じゃない?」

と、大量の着物や帯を並べてくださいました。

私は、こんな高価なものをこんなにたくさんいただけないと、お断りすると、ご婦人はものすごく悲しそうに、

「もらってくれなければ、捨てるしかない。それでは着物が報われない。」

と、おっしゃいました。

 

その後、私たちとご婦人は、私の運転する車でランチへ出かけることに。食事をしながらご婦人が淡々と話を始め、私と娘は聞き入りました。

「昔はね、旦那の経営を手伝って夢中で働いた。旦那の着物を作るたびに、揃いで私の着物も仕立てたの。私のお袋は、仕立て屋だったから、反物だけ買うとお袋がね、仕立ててくれたから。

仕事に余裕ができてからは、旦那と二人で良くドライブしたの。ほら、あなたが去年連れてってくれたところもね、昔旦那と行ったところ。私はもう膝も悪くてたくさん歩けないけど、あなたが車で連れてってくれるから、旦那がいなくなっても、楽しく暮らせてる。

お袋が死んで、旦那が死んで、一人ぼっちになった私を大事にしてくれることが嬉しくて。私はそのうち死ぬから、そうしたら、うちにあるものもうちも、みんなどうなっちゃうのかしらね。そう思ったら、あなたたち母娘に全部あげたいと思うようになったのよ。私が死んでも、思い出してくれる人がいるって嬉しいじゃない?

お墓参りなんてしなくていいの。ただ、私の着物を着てくれたら、それでいいの。年寄りのわがままを聞いてもらえないかね?」

ご婦人の話に、私は涙が溢れてしまいました。子供がいる私には、ご婦人の孤独など想像することさえできなかったと、私は申し訳ない気持ちになりました。

 

食事を終え、再びご婦人のお宅へ戻った私と娘は、真っ新な着物や帯を車に積みました。

「これは全部、お借りしておきますね。戻して欲しい時や、売りたいと思った時は、いつでも正直におっしゃってくださいね。ただ、順に袖を通しますから、真っ新なままのお返しはできませんが。大切に使わせていただきますから。」

私は、そう言って、ご婦人の思い出がたくさん溜まった宝の山を引き取って帰りました。

以来、ご婦人からお借りした着物を着る時は、必ず写真を撮って送ります。ご婦人は「やっぱり似合うわ」と返信をくれます。

唯一、なぜしつけ糸の付いている着物が全部私サイズだったのかという答えは今も不明のまま。きっと何か事情があって、ご婦人が話したくなった時に聞けばいいと思っています。

 

亡き母に少し似たご婦人を、ずっと以前から私は母のように慕っており、子宝に恵まれなかったご婦人は、私を娘のように、私の娘を孫のように可愛がってくれていましたし、その関係は、今までもこれこらも変わらず。

地震があれば、真っ先に「無事ですか」と連絡して、数日連絡が来ないと「何かありましたか」と尋ね、お天気が良い時は、一緒にドライブをするという、程よい距離感で、これから先もずっと続くと思います。