知人の薦めで、埼玉県川口市安行出羽にある一隅(いちぐう)というカフェに行ってきた。
この店にいる看板犬のチャコちゃんは、自分で動くことができない。それでも、毎日店主の高塩さんと一緒にお客様をお迎えしている。
すやすやと眠っているかと思えば、時折目覚めて「あーんあーん」と甘えた声で高塩さんを呼ぶ。お客様の途切れないランチタイム、高塩さんは厨房で忙しく動き回る。なかなか出てこない愛する高塩さんに、今度は少し大きな声で「ウォーン」と。
常連風の男性が、「そうか、そうか」と近付き身体をさすると、ホッとしたように鳴き止み、静かに目を閉じる。
周囲のお客様の会話に、ピンと聞き耳を立てながらまた寝入る。
しばらくするとまた「あーんあーん」と鳴き、今度は別の常連客が近付き、そっと頭を撫で、目を閉じる。
でまた、「あーんあーん」と。お客さんのひとりが、「オーナーさん、そろそろちょっと可哀そうよ、お料理あとでいいから」と、厨房に向かって話しかけたころには、店内のすべてのテーブルに料理が行き渡った。
「すみませんね」と言いながら、チャコちゃんに近付く高塩さん。横たわる大きな身体を起こし左手で抱え、右手で水の入った容器をチャコちゃんの口元へ差し出すと、チャコちゃんはがぶがぶと水を飲んだ。「喉乾いてたのね」お客さんのどなたかがそう言った。
水を飲み、少しのおやつをもらったチャコちゃんは、満足げにまた居眠りをする。
食事を済ませておしゃべりを楽しむと、ひと組、ふた組と帰っていく。帰りがけ、どのお客もみんなチャコちゃんに話しかけ、身体に触れてから店を出る。そのたびにチャコちゃんは気持ちよさ気に目を細めていた。「いい子ね」「頑張るね」「また来るね」といったひとり一人の優しい言葉に、チャコちゃんは耳をまっすぐ立てる。
寝たきりで左半身に多きな床ずれができているチャコちゃんは、微塵もその体を動かすことはできないが、来店するお客さんの一言一言に耳を傾けて聞き入っている。その姿は確かに看板犬だ。
高塩さん曰く、保護犬のチャコちゃんは現在15歳。半年前から寝たきりになってしまったそうだ。玄関先で看板犬としてお客さんを出迎えていたが、寝たきりになった半年前に常連客の了解を得て、店内に寝床を拵えたという。
チャコちゃんの指定席は、店入り口の左手にある。その後ろには、二年前に亡くなった高塩さんのご主人が作った陶芸品の数々を並べた棚。
もともと保護犬だったチャコちゃんの食欲は、元気だったころからほとんど変わらないという。お医者さんには「食べられなくなったらいよいよです」と言われているそう。
高塩さんは、チャコちゃんの最期の時をここで一緒に迎える覚悟をしたと言っていた。
一隅(いちぐう)は、水曜、木曜、金曜の三日間11時半から16時半しか営業しない。そして毎週土曜の11時から13時は地域の子供たちのために子ども食堂を開いている。ホールを手伝う私の知人が無償ボランティアで店を手伝っていることを高塩さんからこの日初めて聞き知った。
心優しい店主とそれを手伝う心優しいスタッフ。自宅を改装した住宅街の一角にあるこの店には優しいい人が集まってくる。
この先、我が家のシェリーちゃん、ももちゃんに最期の時が訪れようというとき、私たち家族はどうするのか。以前子供たちとそんな話をした時、「家族全員でこの家で」という意見と、「一縷の望みをかけて病院へ」という意見に分かれた。
チャコちゃんと高塩さんを見ていたら、「大好きな家族のもとで」が正解のように思えてならないが。
愛犬は、私たちヒトよりもはるかに寿命が短い。私たち家族は、何度も話し合い「最後の最期まで」という覚悟をもって家に迎え入れたはず。今度は娘を連れてチャコちゃんに会いに行こうと思う。